今日はいろんなこと書いてやる
2002年3月27日しばらく書いてなかった。
ちょびっと実家に帰ってたもんで。
実家に帰ってそのまま祖父母の家に行く。じいちゃんのところにあいさつに行くと「東京の人が来た」とひやかされる。就活の話をするとじいちゃんはいぱい自分に仕事の話、職業の話をしてきた。
うちのじいちゃんは教師一筋40年、校長も務めた。昔の人で教師だから固い。
いつも勉強しろと言ってくる。今の大学生はそんなに勉強なんてしてないのよっていつも思って適当に流していた。
でも今回はちょっと聞いていた。昔は教師より農家の方がもうかって「大根をトラックで一回運んでいけば先生の一ヶ月の給料よりいいぞ」とかってばかにされたこととか。いろいろ聞いてて仕事を本当に金のためにやっていたんだなあと思った。今のこの裕福な環境はこの人たちがキャリアとか夢とか自分らしさとか何も考える暇も無く働いていたおかげなんだなあと思う。自分は何もしてない。
じっと話を聞いていると何か自分の知ってるじいちゃんとは違う感じがした。明らかにしわだらけで老いていた。80だから当たり前なのだが自分がちゃんと面と向かって話したじいちゃんは60代のじいちゃんだった。そこから全然話をしっかりせずいつもうるさいなあとか思いながら勉強の話を聞き流していた。
帰るときにばあちゃんからじいちゃんが3ヶ月入院していたことを知る。今も左足がしびれているらしい。そんなこと何も言わんかったじゃないか。恥ずかしくて言いたくなかったのか、俺に話したいことが他にいっぱいあったのか、いろんなことを考えた。帰り際、「体に気をつけて」って自然に言えた。親や親戚には恥ずかしくてあまり言った事が無い言葉だった。初めてかもしれない。じいちゃんは「ありがとう、長生きせんとなあ」と言った。「体に気をつけろ」とか「勉強しろよ」なんていわれたことばっかりだったのが逆転した。この人を喜ばせるにはどうせればいいのかって思った。きっと結婚したり子供を作ることかなあなんてぱっと浮かんだ。就職のことなんてふっとんでいた。
帰りの車の中でじいちゃんのことを考えていた。昔のことを思い出した。俺はじいちゃんばあちゃんが4人とも健在だ。男の初孫であったためめちゃくちゃかわいがられて甘やかされて育った。大学に入って自分が甘ったれてることが嫌で強くなりたいと思っていろんなことをがんばってきた。時には親や祖父母が甘やかして育てたことをうらんだりもしてきた。だからめちゃくちゃ寂しがりやで人に愛されていたい願望が強くわがままだ。そんな自分と戦ってきた。
ただ、車の中で思い出すのはじいちゃんばあちゃんにいろいろ大事にしてもらってきたこと。じいちゃんとはテレビの前で野球中継にかじりつき、一緒になって応援し「大丈夫だよ、中日が9回に逆転するから」っていってほんとに逆転した時のこととか思い出したりした。いつも一緒に野球見てた。そのじいちゃんが反抗期の自分の中では思い出がほとんど無くもう80歳。一緒にたにしやつくしやいろいろとりに行ったのに。急に悲しくなってきた。涙が顔をつたった。誰にも見られたくないからずっと横を向いていた。花粉症のふりして鼻をかんでいた。
一人で東京に住んで仕事のことや女のことや将来のこといろいろ考えてばっかりだったけど原点はここにあると思った。愛されてかわいがられてきたからいっぱい思い出がある。それを否定しちゃいけないって思った。だから自分は今からももっと強くなりたいと思った。だれかのせいや環境のせいにしたくない。
次の話。
友達がH報堂から内定をもらった。どんどん内定をもらう人が出てくる。昔はスポーツライターになりたかったなあ。もう一年ってちょっと思う。昔からほんとに欲しい物には全てを犠牲にしてでも手に入れてきた。東京に絶対きたくて今の大学絶対きたくて浪人して近寄ってくる女とか遊んでいる友達振り切って勉強机に向かった。失った物もいっぱいあるしその中でまだ欲しい物もあるけど後悔はしてない。
なーーーにしたいんだろーーー????
ほんとにこれだって思う物があればまたそういう選択をするだろう。
第一志望のあなた。まだ連絡こないのはなぜですか?リミットまで後二日。
今、内定出てる人たちはほんとにがんばってきたんだろうなあ。今内定出ても余裕だったぜって俺は言う。あんまりがんばったとは思えない。ただ、悩みまくってはいる。
でももう一回悩もう。そして先輩に相談しよう。
明日は2社面接。その後は結構暇。いつのまにこんなことに。今日も面接ブッチングしたから?
いろいろ書くって言って相変わらず支離滅裂でしたねえ。読んでくれた人ありがとう。ヒット数が増えるだけでもうれしいんですよ。こんなのでも読んでくれるんだなあって。もっと文章上手くなりますね。
ロジックを使いこなせる人に憧れるピクシーでした。
ちょびっと実家に帰ってたもんで。
実家に帰ってそのまま祖父母の家に行く。じいちゃんのところにあいさつに行くと「東京の人が来た」とひやかされる。就活の話をするとじいちゃんはいぱい自分に仕事の話、職業の話をしてきた。
うちのじいちゃんは教師一筋40年、校長も務めた。昔の人で教師だから固い。
いつも勉強しろと言ってくる。今の大学生はそんなに勉強なんてしてないのよっていつも思って適当に流していた。
でも今回はちょっと聞いていた。昔は教師より農家の方がもうかって「大根をトラックで一回運んでいけば先生の一ヶ月の給料よりいいぞ」とかってばかにされたこととか。いろいろ聞いてて仕事を本当に金のためにやっていたんだなあと思った。今のこの裕福な環境はこの人たちがキャリアとか夢とか自分らしさとか何も考える暇も無く働いていたおかげなんだなあと思う。自分は何もしてない。
じっと話を聞いていると何か自分の知ってるじいちゃんとは違う感じがした。明らかにしわだらけで老いていた。80だから当たり前なのだが自分がちゃんと面と向かって話したじいちゃんは60代のじいちゃんだった。そこから全然話をしっかりせずいつもうるさいなあとか思いながら勉強の話を聞き流していた。
帰るときにばあちゃんからじいちゃんが3ヶ月入院していたことを知る。今も左足がしびれているらしい。そんなこと何も言わんかったじゃないか。恥ずかしくて言いたくなかったのか、俺に話したいことが他にいっぱいあったのか、いろんなことを考えた。帰り際、「体に気をつけて」って自然に言えた。親や親戚には恥ずかしくてあまり言った事が無い言葉だった。初めてかもしれない。じいちゃんは「ありがとう、長生きせんとなあ」と言った。「体に気をつけろ」とか「勉強しろよ」なんていわれたことばっかりだったのが逆転した。この人を喜ばせるにはどうせればいいのかって思った。きっと結婚したり子供を作ることかなあなんてぱっと浮かんだ。就職のことなんてふっとんでいた。
帰りの車の中でじいちゃんのことを考えていた。昔のことを思い出した。俺はじいちゃんばあちゃんが4人とも健在だ。男の初孫であったためめちゃくちゃかわいがられて甘やかされて育った。大学に入って自分が甘ったれてることが嫌で強くなりたいと思っていろんなことをがんばってきた。時には親や祖父母が甘やかして育てたことをうらんだりもしてきた。だからめちゃくちゃ寂しがりやで人に愛されていたい願望が強くわがままだ。そんな自分と戦ってきた。
ただ、車の中で思い出すのはじいちゃんばあちゃんにいろいろ大事にしてもらってきたこと。じいちゃんとはテレビの前で野球中継にかじりつき、一緒になって応援し「大丈夫だよ、中日が9回に逆転するから」っていってほんとに逆転した時のこととか思い出したりした。いつも一緒に野球見てた。そのじいちゃんが反抗期の自分の中では思い出がほとんど無くもう80歳。一緒にたにしやつくしやいろいろとりに行ったのに。急に悲しくなってきた。涙が顔をつたった。誰にも見られたくないからずっと横を向いていた。花粉症のふりして鼻をかんでいた。
一人で東京に住んで仕事のことや女のことや将来のこといろいろ考えてばっかりだったけど原点はここにあると思った。愛されてかわいがられてきたからいっぱい思い出がある。それを否定しちゃいけないって思った。だから自分は今からももっと強くなりたいと思った。だれかのせいや環境のせいにしたくない。
次の話。
友達がH報堂から内定をもらった。どんどん内定をもらう人が出てくる。昔はスポーツライターになりたかったなあ。もう一年ってちょっと思う。昔からほんとに欲しい物には全てを犠牲にしてでも手に入れてきた。東京に絶対きたくて今の大学絶対きたくて浪人して近寄ってくる女とか遊んでいる友達振り切って勉強机に向かった。失った物もいっぱいあるしその中でまだ欲しい物もあるけど後悔はしてない。
なーーーにしたいんだろーーー????
ほんとにこれだって思う物があればまたそういう選択をするだろう。
第一志望のあなた。まだ連絡こないのはなぜですか?リミットまで後二日。
今、内定出てる人たちはほんとにがんばってきたんだろうなあ。今内定出ても余裕だったぜって俺は言う。あんまりがんばったとは思えない。ただ、悩みまくってはいる。
でももう一回悩もう。そして先輩に相談しよう。
明日は2社面接。その後は結構暇。いつのまにこんなことに。今日も面接ブッチングしたから?
いろいろ書くって言って相変わらず支離滅裂でしたねえ。読んでくれた人ありがとう。ヒット数が増えるだけでもうれしいんですよ。こんなのでも読んでくれるんだなあって。もっと文章上手くなりますね。
ロジックを使いこなせる人に憧れるピクシーでした。
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